鉢形城跡

鐘撞堂山に行ったら主城である鉢形城を忘れてはなるまい! 寄居駅の南、荒川と支流深沢川に挟まれた天然要害の地に1476年上杉家の家老長尾景春によって築城され、戦国末期の1590年城主の北条氏邦が秀吉方の前田利家や上杉景勝軍に敗れるまで、難攻不落の名城だったといわれる。

目立つ天守閣の建設は信長や秀吉の時代まで待たねばならないが、歴史的な平山城として意義があるとして昭和7年に国の史跡に指定され、平成9年からの発掘調査・整備事業のあと史跡公園として一般に公開されている。 寄居は上州(群馬県)の南端に位置し、西部荒川上流部の雁坂峠、十石峠を通って信州,甲州に通じているので、北条、武田、上杉ら戦国武将が競って北関東の拠点としようとした。 

広さは24万㎡あって、東京ドームの5~6倍だ(先日訪れた三浦小網代の森の3分の一)。 鐘撞堂は鉢形城の北3キロに位置し、敵の動静の見張りや緊急の場合、鐘で知らせる役目を担った。 さらに西には虎ヶ岡城、陣見山、金尾城など支城を配し、両側の山が迫り、しかも荒川が直角に曲がり、敵の動きを注視するには好都合な位置だった。

さて鐘撞堂の鐘は果たしてどんなサイズの鐘だったのか? お寺の梵鐘のような大きな物だったのか、連続して打てる火の見櫓の半鐘サイズだったのか? 現代は想像できない騒音やビルに囲まれているし、空気の質も違っているかも知れないが、鐘撞堂山で鐘を鳴らし、3キロ離れた鉢形城跡で音を聞く「イベント」なんてどうだろうか? 兵(つわもの)どもは夢の跡の、ただ広いだけの城跡だけど、鐘を聞いて戦国時代に思いを馳せるなんてロマンを感じませんか?

鉢形城歴史館の入り口:
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昨年4月に鉢形城跡、野上の下郷石塔婆、道光寺、金尾つつじ山、白髪神社などを見て回ったときの記録です。



最後の城主北条氏邦が拡大整備した鉢形城は小田原城、岩槻城、深谷城など後北条系として共通の築城形式があるとか? 埼玉の誇れるもう一つの史跡行田市の忍(おし)城に石田三成らが水攻めを始めるのは、鉢形城開城(北条氏邦が降伏)の2日前だ。 北条氏についていた忍城主成田氏長の物語が映画「のぼうの城」で今秋公開される。 歴史って深くて広がりがあって面白いですね!

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